大判例

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最高裁判所大法廷 昭和27年(あ)2011号 判決

主文

原判決及び第一審判決を破棄する。

被告人を免訴する。

理由

弁護人杉之原舜一の上告趣意は、末尾添附のとおりである。

裁判官真野毅、同小谷勝重、同島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎及び裁判官井上登、同栗山茂、同岩松三郎、同河村又介、同小林俊三の意見は、本件は、原判決後に刑が廃止されたときにあたるとするにあるから、刑訴四一一条五号、四一三条但書、三三七条二号により主文のとおり判決する。

裁判官田中耕太郎、同斎藤悠輔、同本村善太郎は上告棄却の意見である。

弁護人杉之原舜一の上告趣意について。

裁判官真野毅、同小谷勝重、同島保、同藤田八郎、同谷村唯一郎の意見は次のとおりである。

職権をもって調査すると昭和二五年政令三二五号「占領目的阻害行為処罰令」は、わが国の統治権が連合国の管理下にあった当時は、日本国憲法にかかわりなく、憲法外において法的効力を有したのであるが、平和条約発効と共に当然失効し、昭和二七年法律八一号により前記政令の効力を維持することは憲法に違反し、同年法律一三七号の規定は、事後立法であって、違憲無効であり、また本件のごとき場合に限時法理論を用いることが憲法上許されないことは、昭和二七年(あ)第二八六八号同二八年七月二二日言渡大法廷判決記載の真野、小谷、島、藤田、谷村各裁判官の意見のとおりである。それ故に、本件については、原判決後の法令により刑が廃止された場合にあたるから原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。よって論旨について判断するまでもなく原判決及び第一審判決を破棄し被告人を免訴すべきものである。

裁判官真野毅の補足意見は、前記昭和二七年(あ)第二八六八号(被告人坂上仲夫)同二八年七月二二日言渡大法廷判決及び昭和二七年(あ)第六六九号(被告人渡辺誠一郎)同二八年一二月一六日言渡大法廷判決中各記載の同裁判官の補足意見のとおりである。

裁判官井上登、同栗山茂、同岩松三郎、同河村又介、同小林俊三の意見は次のとおりである。

職権をもって調査すると昭和二五年政令三二五号の内容を充足する指令であり、且つ本件に適用ある昭和二〇年九月一〇日附連合国最高司令官の「言論及び新聞の自由」と題する覚書第三項の「連合国に対する虚偽又は破壊的批評及び風説」を「論議すること」を禁止し処罰する部分及び第一審判決が本件に適用した同年九月一九日附同司令官の「新聞規則」と題する覚書第三項の「連合国に対する虚偽又は破壊的批評」を「行う」ことを禁止し処罰する部分は、憲法二一条に違反するから右指令を適用する限りにおいては、右政令は、昭和二七年法律八一号及び同年法律一三七号にかかわらず、平和条約発効と同時に国法たる効力を失うものと解するを相当とする。従って本件は原判決後の法令により刑の廃止があった場合にあたるから、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。よって原判決及び第一審判決を破棄し被告人を免訴すべきものである。

裁判官井上登、同岩松三郎の補足意見は次のとおりである。

連合国が初めて日本を占領した当時「占領の目的は日本における軍国主義、全体主義を排除し、日本を平和国家、民主国家にする為めである」という様なことがいわれ、従ってその目的の為めに種々の指令が発せられた。例えば本件の如き犯罪に適用せらるべき覚書昭和二〇年九月一〇日附「言論及新聞の自由に関する件」又は第一審が本件に適用ありとした同年九月一九日附「新聞規則」と題する覚書の各第一、二項の如きはそれであって、「占領目的に反する行為」とは右の目的に反する行為という意味にも用いられて居たのである。しかるに又一方占領そのものの為めに不利益となり得べき行為を禁ずる指令も数多く発せられ、これに違反する行為も亦占領目的に反する行為として所罰せらるるに至ったのであって、この場合は占領目的という語が占領そのものを目的とする意味に用いられたのである。前者の場合は昭和二七年法律第八一号によって法律と同じ効力を与えられた以上、その内容が(例えば行き過ぎ等の為めに)憲法に違反せざる限り、日本の主権が恢復し占領ということが無くなったというだけでこれを無効とすることは出来ない。しかし後者の場合は占領そのものの便宜、利益の為めにのみ発せられたものである(吾国の公の福祉の為めに発せられたのではない)から、その性質上占領という事実が消滅すると共に失効すべきものである。(そのいずれに属するか又前者であるとすればその内容が違憲であるか否かは一々各指令の内容について検討して見なければならないとする点において私達の意見は真野外四名の裁判官の意見と異なるのであってこれは従来度々書いたとおりである)そして本件に適用された前記各覚書第三項は以下に記す理由により前記後者に属するものであり、従って占領終了と共に失効すべきものであるのみならず、その内容も憲法下においては許されないものと考えるのである。

本件各覚書は昭和二〇年九月一〇日附若くは同月一九日附で、即ち終戦直後に発せられたものであり「連合国に対する……」云々といって居て「外国に対する」とはいっていない。そして「虚偽又は破壊的」云々といって一応相当の制限をつけて居る様だけれども虚偽のことをいえばそれが如何につまらない小さなことでも罰せられるのであり、又連合国の噂をすればどんな噂でも罪となるのである。(「言論及び新聞の自由」の覚書の日本文では「虚偽又は破壊的批判及び風説」とあるから「虚偽又は破壊的」が「風説」にもかかる様に読み得る様だけれども覚書の原文で見ると「虚偽又は破壊的」は「批判」にのみかかるので風説にはかからないものであること明である)極端にいうと連合国の為めに有利なことであっても苟くも虚偽又は噂を論議すれば罪を構成するのである。かくの如きことが不当に(公の福祉の為め必要な限度を越えて)表現の自由を圧迫し憲法に違反することはいう迄もない。又破壊的批判であってもそれが真実に基くものであるならば敵国(連合国は当時においては日本を占領して居る敵国である)に対しかかる批判をすることは必しも罰せられるべき行為とはいえない。例えば或る国の軍隊が強姦強盗ばかりやって居て仕方がないといった様な事実が万一あったとすれば、それを摘発して国民に警告することは寧ろ新聞の使命に合うことかも知れない。これに刑罰を以てのぞむが如きは不当であるこという迄もあるまい。しかのみならず当時は「破壊的」などとは到底いえない軽微な事実迄「破壊的批判」の名の下に起訴された実例が多く存するのであって、何等の制限もなく単純に「破壊的」というが如きは頗る不明確で危険なものであることは小林裁判官のいうとおりでありこの点については同裁判官の、他の刑罰法規を例に引いての詳細な意見書を引用したい。要するに無制限に「虚偽又は破壊的批判」「風説」というが如きは犯罪構成要件を規定する字句としては余りに広汎且不明確でありかかる字句を以て表現の自由を制限することは不当に言論を圧迫するものであり憲法に違反するものというべきである(小林裁判官の意見書中に例に引いてある他の類似刑罰法規の様に種々必要な制限をつけなければならない)。のみならず上述の様な実例、広汎不明確な内容と本覚書が終戦直後に発せられたものであること及批判の対象を一般外国又は友交国とせず連合国即占領国に限ったこと等を併せ考えると本件各覚書第三項は苟くも占領国に対する反感を惹起して占領の為の不利益となり得べき言論を封じ、よって少しでも占領の妨害となる虞ある行為を弾圧する目的に出たものと見るの外なく冒頭記載の「後者」の部類に属するものであって吾国公の福祉の為めに発せられた指令とは到底考えられない。この点から見ても占領の終了と共に失効すべきものといわなければならない。

裁判官井上登、同岩松三郎の各補足意見は、前記昭和二七年(あ)第二八六八号(被告人坂上仲夫)の大法廷判決記載の井上裁判官の補足意見及び前記昭和二七年(あ)第六六九号(被告人渡辺誠一郎)の大法廷判決記載の井上裁判官の補足意見中本件政令三二五号の平和条約発効後の効力に関する部分のとおりである。

裁判官栗山茂、同河村又介の補足意見は次のとおりである。

連合国司令官は一九四五年九月一〇日言論及び新聞の自由と題する覚書を発して、日本国政府に対し言論の自由に関しては最少限度の制限を為すべき旨を命じ(第二項)、次いで同月二七日更に新聞及び言論の自由えの追加措置と題する覚書を発して、日本帝国政府は最高司令官の命令による場合の外、新聞あるいはその発行人またはその使用職員等に対し、その如何なる政策ないし意見の発表に関しても、如何なる処罰的行為をも為すことを得ずとし(第四項)、同時に同覚書で日本国政府に対し新聞紙法、国家総動員法、新聞紙等掲載制限令、新聞事業令、言論出版集会結社臨時取締法等の従来の新聞紙に対する諸制限を撤廃せしめたのである(第七項)。これら一連の連合国司令官の指令は、民主主義に則りポツダム宣言の政策の一つである言論および出版の自由(同宣言第一〇項)を確立せしめることを目的としているものであって日本国憲法二一条の保障と同一精神に出ていること明である。それにもかかわらず、他方において、前記言論および新聞の自由と題する覚書(一九四五年九月一〇日附)は、その第三項において「連合国に対する虚偽又は破壊的批評及び風説は之を論議することを得ず」と規定しており、更に同月一九日連合国の新聞に対する取締方針を一層具体化し、強化するために発せられたと認められる日本新聞規則に関する覚書も、その第三項において「連合国に対する虚偽又は破壊的批評を行わざるべし」と規定している。ところで、これらの規定はポツダム宣言の実現を目的とした連合国の一連の政策とは異なり、専ら占領軍または連合国の利益を擁護することのみを目的としたものであって、結局において連合国に対する不利益な批評を一切禁止するのと同一に帰し、被占領国たるわが国における言論および出版の自由を不当に制限せんとするものであり、日本国憲法二一条の精神と相容れないものである。それ故、これらの規定は占領下においてこそ日本国憲法にかかわりなくその効力を保持し得たとしても、占領の終了と共に当然違憲の規定としてその効力を失うべき性質のものといわなければならない。

されば、昭和二五年政令三二五号は、平和条約発効後においては、前記一九四五年九月一〇日附覚書第三項及びこれと同趣旨の同月一九日附覚書第三項を適用する限りにおいては、これが効力を認めることができないものであるから、本件は原判決後の法令により刑の廃止があった場合に準ずべきものである。

裁判官栗山茂の補足意見は、前記昭和二七年(あ)第六六九号(被告人渡辺誠一郎)の大法廷判決記載の同裁判官の意見中本件政令三二五号の平和条約発効後の効力に関する部分のとおりである。

裁判官河村又介の補足意見は、前記昭和二七年(あ)第二八六八号(被告人坂上仲夫)の大法廷判決記載の同裁判官の補足意見及び前記昭和二七年(あ)第六六九号(被告人渡辺誠一郎)の大法廷判決記載の同裁判官の補足意見中本件政令三二五号の平和条約発効後の効力に関する部分のとおりである。

裁判官小林俊三の補足意見は次のとおりである。

本件被告人は免訴すべきものである。

政令第三二五号と平和条約及び昭和二七年法律第八一号との関係について、私のとる意見は、右政令違反に問うところの連合国最高司令官の指令(以下単に指令といい、本件の指令は覚書として発せられているからこの場合は覚書という)の内容が、平和条約成立後現にわが憲法に適合するかどうかによって法律たる効力があるかないかが定まると解するにあることは、すでに昭和二八年七月二二日言渡の大法廷判決において述べたとおりであるから、ここにこれを引用する(集七巻七号一五六二頁以下)。ところで本件において原判決の支持する第一審判決の判示するところによれば、被告人は、判示のような「連合国に対する破壊的批判をした」記事を掲載した幌内新聞一部を頒布論議したというのであるから、覚書の内容によって法律たる効力を定める意見の立場から当然右判決の摘示事実に適用すべき昭和二〇年九月一〇日附同司令官の「言論及び新聞の自由」と題する覚書第三項の「連合国に対する虚偽又は破壊的批評及び風説はこれを論議することを得ず」という規定並びに本件第一審判決が本件に適用した、同年九月一九日附同司令官の「新聞規則」と題する覚書第三項の「連合国に対する虚偽又は破壊的批評を行わざるべし」という規定が現にわが憲法に適合するかどうかを考えなければならないのである。そして右各覚書第三項にいう「連合国」は、すでに平和条約成立とともになくなったのであるから、この関係を現在に置き換えると単なる外国となるのであるが、仮りにその外国がわが国と友交関係に在るとしても、それらの外国に対し「虚偽又は破壊的批評」というような表現により刑罰制裁を附して一般に言論を制限する立法が現にわが憲法上可能であるかどうかが結局本件の問題となるのである。(この判断によって単なる「風説」の問題は自ら解決されると思うから特に触れない。またわが国と安全保障条約のような関係にある外国は別な考察をすべき面があるからこれを除外する。なお参考としてかかる外国との関係につき昭和二七年(あ)第六六九号同二八年一二月一六日大法廷判決において述べた私の意見をここに引用する。)

(一) そこで順序として覚書にいう「虚偽又は破壊的批評」の「批評」ということを考えてみるに、これは本来全く自由な言論の一形式であって、それ自体に可罰性ある何ものをも含まないことはもちろんまたいかなる限度方法においても、それ自体を制限することの許されないことは、わが憲法を引くまでもなく近代憲法に通ずる自明の理であろう。覚書の規定は、この本来全く自由な「批評」という言論を「虚偽又は破壊的」という限界のきわめて広い抽象的文字だけで抑えこれを罪とするのであるが、まずこの文言自体からは、適確に構成要件を観念することが困難であるから、その結果としてその解釈は独断専恣に陥り易く国民にとってきわめて危険である。批評ということが、前示のような本質をもっているから、これを制限しかつ違反する者に刑罰制裁を科するためには、その制限のよって立つ余程の理由があることを要しかつそれが明確でなければならない。すなわちかかる言論の自由を特に制限して特に守らなければならない公共の福祉はいかなる内容を有するものであるか、またこれに対する言論の限界は最少限度においていかなる線にあるか、さらに目的又は結果についていかなる認識を必要とするか等を能うかぎり明らかにすることを必要とする。これを刑罰法規の面からいえば、言論を制限してこれに反する行為を罪とする法規は、それ自体に、かかる行為に対し保護しようとする法益とこれに対する侵害の態様をできるかぎり明確にし、よって行為者がこれらの点に関しいかなる主観的意思又は認識を必要とするかを明らかに表示しなければならないのである。このことは言論の自由が民主主義的国家構造の基本の一部を形成する本質的な人権であることから出て来る当然の要請である。なるほど他の見解によれば、「虚偽」とか「破壊的」とかいうだけでそれ自体不正ないし不当の意義を含むのであるから、具体的な特定の行為が社会的危険性又は反道義性ある社会悪として可罰性を認むべきかどうかは、それぞれの行為につき裁判により定められれば足り、刑罰規範としては右のような表現だけで十分であるとの説も考えられないことはない。しかし刑罰法規の一般的抽象的表現にも限度があり、特に言論の自由の一方法である「批評」というようなことは、殺人や強窃盗のごとき自然犯罪とは全く性質を異にするのであるから、これらと同一に論ずることはできない。かえって現行法中から例をとってみても、言論に関するかぎり、右覚書の規定のような一般的な不明確な規制をしている法規は見当らない。すなわち「虚偽」という語についていえば、刑法の信用毀損罪(二三三条前段)における「虚偽ノ風説ヲ流布シ」は、よって「人ノ信用ヲ毀損」するという結果又は危険を生ずることを必要とするのであり、選挙の公正を害する罪(公職選挙法一四八条一項但書及び二二五条の二第一項一号)における新聞紙又は雑誌に「虚偽の事項を記載」することは、これによって「選挙の公正を害してはならない」のである。その他同法二三四条二三五条に定める言論の規制も、それぞれ定まった目的を明らかにしている。さらに「破壊的」という語についていえば、成立について多くの論議のあった破壊活動防止法(以下破防法)というにおいても、その第四条に定める「暴力主義的破壊活動」として言論を罪とする場合は、「せん動」が主たる例であるが(同条一項二号ヌ)、その第二項に「せん動」の意義として、「文書若しくは図画又は言動」により、人に対し「特定の行為を実行させる目的」をもって「その行為を実行する決意を生ぜしめ又は既に生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与える」という結果を生ずることを必要とする旨の明確な表示をしている。(なおここでは破防法その他ここに引用する特別法の言論に関する諸規定の合憲性については一切触れない。)また主として言論その他の表現による方法と認められる「そそのかす」「あおる」を罪とする国家公務員法九八条五項末段(同一一〇条一七号)の規定も、行為の対象を具体的に明確にしている(地方公務員法三七条一項末段六一条四号参照)。「煽動」という文字を用いている国税犯則取締法も同様にその目的を明確に定めている(二二条)。これらの例から考えてみても、言論を罪とする場合の刑罰法規は、常に侵害の対象となる法益とこれに対する目的又は結果について明確な規制をしていることが解るのであり、また右のように明確な定めをしなければ、言論を罪とすることは許されないという前提に立つものと解されるのである。すなわち本件についていえば、「批評」という言論の対象がわが国と友交関係にある外国であるとしても、単に「虚偽」とか「破壊的」という限界のきわめて不明な抽象的表示のみによりこれに対し刑罰制裁をもって臨むことは、言論の自由を不当に制限するものであり、憲法二一条に違反するものといわなければならない。

(二) 以上に述べるところはまた「虚偽」又は「破壊的」というきわめて広い一般的な表示だけでは罪刑法定主義の原則にも適合しないことの理由としても十分である。

(三) 次に一般に指令の内容は当時の連合国又は占領軍の便宜利益のために発せられたものが多いであろうが、それのみでなくわが国の秩序を維持し公共の福祉を増進するために発せられたものも多く存在し、後者に属する指令は、その内容がわが憲法に適合しかつこれを存続せしめる必要を認めるかぎり、わが国が平和条約の成立により独立した後、独自の意思をもってこれを国法とすることをなんら妨げるものでないことはすでに述べているところである(前示昭和二八年七月二二日大法廷判決参照)。しかるに前示の覚書の条項は、(一)に述べたように批評という言論を制限する規定としてきわめて独断専恣であり国民にとって著しく危険である点にかんがみるときは、全く当時の連合国又は占領軍の便宜利益のためのみに発したものと解するのほかなく、当時わが国わが国民が課せられていた指令に対する服従義務によってのみこのような言論に対する刑罰法規の効力を是認することができるのである。すなわち平和条約成立後においては、わが国としてかかる指令の内容をそのまま国法として存続せしめる必要がないのみならず、またかかる言論の制限について憲法上の根拠を欠き、かつ規定自体からいって罪刑法定主義の要請にも副わざること前示のとおりであって、この見地から考えても、前示覚書の条項のごときは、法律第八一号によってもわが国法たる効力を与えることはできないといわなければならない。

以上の理由により、政令第三二五号は、前記覚書の条項を充足するかぎり平和条約発効とともに失効したのであり、その以後は右条項違反を理由として被告人を処罰することはできないのである。されば本件は原判決後の法令により刑の廃止のあった場合に準ずべきものと解するを相当とし、被告人を免訴すべきものである。

裁判官田中耕太郎、同斎藤悠輔、同本村善太郎の反対意見は、次のとおりである。

職権により調査すると原判決の是認した第一審判決の確定した犯罪事実は、被告人は、連合国最高司令官の昭和二〇年九月一九日附日本新聞規則に関する覚書の趣旨に反し、昭和二六年一月七日頃空知郡三笠町幌内所在新栄寮において、同寮長白戸松義に対し、惨虐死のキャンプ朝鮮と題し「(前略)負け戦でヤケクソになったアメリカ帝国主義者共は、朝鮮人という朝鮮人は皆ゲリラと思い、片っぱしから殺し、婦女子を集めてスッパダカにし、爪を抜き、エグリトリ、油をかけて焼殺すなど、至れりつくせりの残虐をつづけている」云々と連合国に対する破壊的批判をした記事を掲載した昭和二六年一月三日附日共幌内細胞機関紙幌内新聞一部を頒布論議し、以って占領目的に有害な行為をなしたものであるというのである。されば、被告人の所為は、右犯行当時法的に有効に存在した昭和二五年政令三二五号一条、昭和二〇年九月一〇日附連合国最高司令官の「言論及び新聞の自由」と題する覚書三項又は同年九月一九日附同司令官の「新聞規則」と題する覚書三項に違反し、同令二条一項に該当すること明らかであるから、被告人は、同条項所定の処罰を免れないものといわなければならない。

そして刑訴三三七条二号の「犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。」とは、その明文の示すとおり、犯罪後発布された法令により積極的に既成の刑罰権を放棄したとき、換言すれば、犯罪後特に刑を廃止する旨の国家意思の発現があったときを指すものであって、刑罰を規定した法規そのものが単に将来に向って失効したとき(その失効と同時に既成の刑を廃止する暗黙の国家意思があったと見られない限りは)をいうものでないこと、とくに、単なる事情の変更又は時間の経過によって単に将来に向って失効するに過ぎない、いわゆる限時法的性格の法令は、その失効と同時に刑を廃止する旨の明文がない以上、刑を廃止する暗黙の国家意思の発現があるものといえないものであること、竝びに、本件政令三二五号は、初めから占領中だけ有効に存在する、いわゆる、限時法的性格の法令であって、しかも、本件犯罪後これが刑罰を廃止する旨の法令が発布されていないこと、ことに、本件覚書の趣旨に反する右政令違反の犯罪につき特に大赦から除外したこと(昭和二七年政令一一七号一条二三号(イ)、(ロ)参照)、昭和二七年法律八一号、同法律一三七号一連の法律は、逆に本件のごとき犯罪の刑罰を特に廃止しない旨の明確な国家意思を表明していると見るべきこと等については、すべて、昭和二七年(あ)二八六八号昭和二八年七月二二日宣告当裁判所大法廷判決中の弁護人上田誠吉の上告趣意第三点についてのわれわれの意見において説明したとおりである。されば、本件については、犯罪後の法令により刑の廃止はないものといわなければならない。

裁判官斎藤悠輔の補足意見は、前記昭和二七年(あ)第二八六八号(被告人坂上仲夫)の大法廷判決及び昭和二七年(あ)第六六九号(被告人渡辺誠一郎)の大法廷判決各記載の同裁判官の補足意見のとおりである。

裁判官霜山精一は退官につき評議に関与しない。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)

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